クマ子とハナ子

2016年8月にウエールズに引っ越し。新しい生活の始まり。色々なことがありすぎてなのか記憶力が落ちてきているのか、朝になるとすっかりリセット。いいのかなぁ、、、 ボケ防止のためのいろいろ覚書。

ハナ子もうすぐ7歳 歯が抜けたと思ったら水疱瘡にかかった。アロマで乗り切ろう

数日前から突然歯がぐらつくと言い出して、覗いてみると下の歯の大人の歯が内側に向けて斜めに頭を見せ始めていた。

上の歯から抜けるとばかり思っていたのでびっくり。

2日前に抜けて「妖精が1パウンドと歯を夜中に交換してくれる!」と大喜び。

仕方なく小銭を取り出して抜けた歯のところに置いておくと、本当に喜んでた。

1パウンドもらえてうれしいのか、妖精がいることにうれしいのかどっちかな。。。

 

と考えているやいなや、今日仕事帰りにハナ子を迎えに行くと

顔や首に赤くはれた湿疹がぽつぽつぽつと、、、体にもたくさんでてる。

はてな???

スタッフも、「そういわれてみると出てるわね、、、みずぼうそうかしら、、」と他人事。

慌ててGPに連れて行くと早速診察してくれた。

「水疱瘡かな、、ただ、ドライスキンからくる肌荒れもあるのでクリームを出しときます。あと5日間は水疱瘡にかかったことがない人に移る可能性があるので気を付けて」とのこと。

 

5日間、、、、来週月曜日からの学校は休まなくて済むけれど、補習校の入学式がこの土曜日に控えてる。。。。どう考えても怪しい。

着物を着ると意気込んでたのに。。。

 

あぁー 育児ってほんと、あきらめることを学ぶよね。

半日断食、少食 4カ月目の効能

新年の体調不良から始まった食生活の見直しからそろそろ4カ月。

始めの1,2カ月は結構少食を徹底できていたけれど、案の定3月はだらだら食いは確かに減ったけど、ドカ食いが復活してしまった。

 

後味の悪い思いを繰り返しながらなんとか起動修正をしようと心がけても、振り返ると生理前、排卵前後あたりはどうも食欲をコントロールしづらい。

 

ただ、確かにいい感じだと思うことがある。

 

今年に入って、生理前、排卵日まえの倦怠感がほとんどない。すこし眠気を感じるくらいで、しかし、以前ほど鉛の体を抱えたような重たさはない。そう、以前は横にならずにはいられないくらい体が重くてだるくて仕方なかった。

でも、今はどうだ??

倦怠感もほとんどなし、頭痛もない、片頭痛もない。ないない尽くしだ。

 

ただ便秘感はなかなか改善しないなぁ。。。。

 

これはやはり、ドカ食いや食べ物の内容がよくないんだろう。

 

 

今日は疲れたなぁー

7連勤翌日の休日は学校の庭園をきれいにする手伝いに朝8時半からでかけた。

お天気はまずまずだったけれど、朝早いうちはまだ寒かった。

レタスや他の野菜が植えられていたところに草が生え放題。それを全部取って更地にすることから始まって、後半は土をどけて大きめの砂利を運んで敷き詰めた。

420人ほどの規模の学校だから、お手伝いの呼びかけに結構来るかと思いきや、

10人いるかいないか、子どもも7人ほど。

なんとま、少ないこと。

だから2回も3回も呼びかけのテキストが発信されたんだなぁ、。と少し残念だった。

 

ただ、私もハナ子もおおいに頑張った。

本当に楽しかった。

スコップで砂利をすくいあげるのは結構大変だった。お父さんたちが軽々としていたので、もう少し簡単かと思ったけれど、私が救い上げることができるのはスコップの4分の一くらいしかない。あぁ、、これじゃあ作業が遅れる、、と思って

救いを求めると「Don't worry, enjoy what you are doing」ってかえってきた。

あぁーーまたやっちゃった。ここでは楽しまなければいけない。

 

そう反省しながら、自分が少しずつ変われるチャンスをありがたくも思った。

救世主との出会いでもう一度見つめなおす育児と夫婦関係、その根底は愛着と依存。

今日2回目の電話相談をしていただいた。

前回は初めての電話と相談を受けることはあっても、相談するっていうことに慣れていなかったので、今も慣れないけれど、非常に緊張してしまい、何もメモらずに終わってしまった。

自分の気持ちの経過を知るにもノートをとろうと思っていたけれど、

結局IKEAの子どものお絵かき用のペイパーロールをテーブルに広げてメモって行った。

 

私は自分の性格や傾向は不健康的な部分があって、それは母からの薄弱な愛情表現のせいだといつも思っていた。父も口うるさいほうだし、ほめられた記憶といえば母が三者面談で「この子には何か光るものがある」「この子はどこででも寝れる」って言ってくれたことくらいか。どこでも寝れるって言われてすごくうれしくなって、家の押し入れで寝たりしたこともあった。単純だ。

ただ、不器用さがあるものの、それなりに人間関係をこなしていた。

それが夫と生活し始めることでだんだんだんだんと悪循環が繰り返され、私ってこんな嫌な奴だったのか?こんな卑劣なのか?どうなってる?? と自分をますます嫌いになっていって、自信を失っていった・・・・・

そこへ育児が加わって、ハナ子の自我が発達してきて、ますますイライラが募って行くのと同時に、これじゃだめだぁーーーーと修正に苦労していた。

 

1時間半も付き合ってくださった救世主よ、ありがとうございます。

 

今日のまとめとしては:

育児について

私の中に衝動性の傾向があって、それが相手の行動を待てずあれよこれよと指図してしまう口うるさい母親になっている。 = 見守ることが大事= ハナ子がどうできるかを観察するっていう気持ちを持てば、私は結果として「待つ」ことができそう。

自立を前提にして、笑顔で接する。先回りしない。できたときに褒めてあげる。

 

自覚と振り返りが大事

 

夫婦関係について:

あんまり思い出せない。

家族を大事にできる関係を作る。

 

私自身について:

楽しみを持つ。家族が共有できる楽しみがいい。

生きがいを見つける。

小波でも揺れてしまうような小舟になんらない。小舟に乗っているハナ子までゆれてしまうから。

大波でも揺れない船になる。

 

話していると、だんだん単純に感じてくる。なんかぐちゃぐちゃに考えていたけれど、夫との関係もすべきことが見えてくる、が、どうやってそれを有効にこなすか。

 

 

 

 

 

 

断捨離を心がけて半年ほど、、、この奇跡は断捨離のお陰なの??

断捨離を始めるといろいろといいことがメルマガにもよく書いてある。

特に人との出会いについては私も関心が高かった。でも、そんなことあるのかなぁと半信半疑だし、一体どうして断捨離から出会いにつながるのかと想像もつかなかった。

特に私は海外滞在中。講演会にも行けず一人こつこつ。

 

でも、今日気が付いた。

今お世話になっている人はもしかして断捨離のお陰なのか???

そうなのだ。

そうそう。

断捨離を心がけると、自分に何が必要かという自分軸を持つことに意識が向く。

自分がどうしたいか。

捨てれない自分はなぜ?これが今の腐れ縁を引き寄せてる。何かを捨てることへの不安や恐怖心を払拭したいという気持ちが生じる。

このままではいけない。。。

例えば、夫との関係を修復する気力をなくしていたとき、このまま沈んだ気持ちでいいのか。イライラが募っていいのか。。。。

そして気晴らし半分以上で無料の出会い系をのぞいてみた。

そこで、私は救世主に出会うことができた。

 

 

 

 

 

 

今日の英語 catch you up later

See you laterと同じように使える Catch you up later.

もう少しくだけた感じで使えるのかな。。。

それとも確実性が高いかな。

 

Catch you up を 使うと、具体的に近いうちに合うことが想定される。意志が含まれているような感じがする。

 

さて、どうでしょう、、、特に調べもせず。

気軽に使えるのでま、いいか。

 

 

青春を感じたあの日々、祝30周年 わが青春、エレファントカシマシ!!

妹からのライン。

9年ぶりにエレカシのライブ行ってきた、、、、

 

9年❓?!!

はぁーーーーーと深いため息をつくしかできない。

 

あの青春の日々。

来る日も来る日もエレカシの唄を聞いていた。

雨の日も、仕事帰りも、仕事に行くときも、、、、

20代後半で大阪万博で初めて目の当たりにしてから30の半ばまで。

あの衝撃は忘れられない。

白いシャツと黒のズボン。そしてまた、黒髪があっている。

 

それまでどちらかというと洋楽が多かったのに、それから一機に変わった。

そして何がうれしかったか。。。

看護学校時代にちらりと実は彼らのことを目にしたことがあった。

「戦う男」

クラスでお気に入りのバンドなどを持つことが流行ってたようで、誰かが雑誌を持ってきてたんだろう。

でも、私は回り道をしてたのもあって遊びは大学時代で終わりと決めていた。

でも脳裏にくっきり残っていた。彼らのことが。

 

それが、働き始めて初めての夏。初めてのフェスティバル。

そこへ登場したのが彼らだった。

 

それから妹とライブ巡りが始まった。

ライブ後彼らが出てくるのを待って、車を追っかけた。 初めて追っかけたとき

「わたしってまだまだ走れる!!」っていう不思議な喜びだった。

それからというもの、体力チェックも含んだ追っかけが始まった。

 

なんとなく、そろそろ一度ガチで追っかけようということになり、30半ばころ

大阪をはじめ、名古屋、東京、香川とできる限りのライブをはしごした。

 

なんとなく、予感してたんだろう。もうこんなことができる日も残り少ないと。

妹は一足早く結婚。

そして私も渡英して結婚。

 

懐かしい歌を聴くと切なく悲しくなるので少し距離を置いていたけれど、

新曲をふと耳にしたとき、うれしかった。

「桜が舞い上がる道」だったか? 

 

それからもう8年9年が経つのかぁ、、、

参ったな。

私は何か道を作ってきたのだろうか???

 

ライブ、行きたいなぁーーー